1982-03-24 第96回国会 衆議院 建設委員会 第6号
「内閣は、行政権の行使について、國會に對し連帶して責任を負ふ。」そういうふうに国会が連帯する場合は大いにあると思うのです。それならそれで議会制民主主義の立場を貫くなら、国会を構成している会派が参加する、こういうのがあるべき姿であって、こういう重大な問題を自民党だけが参加して決める、これは議会制民主主義の立場から言っても大きな片手落ちではないかと思うのです。いかがでしょう。
「内閣は、行政権の行使について、國會に對し連帶して責任を負ふ。」そういうふうに国会が連帯する場合は大いにあると思うのです。それならそれで議会制民主主義の立場を貫くなら、国会を構成している会派が参加する、こういうのがあるべき姿であって、こういう重大な問題を自民党だけが参加して決める、これは議会制民主主義の立場から言っても大きな片手落ちではないかと思うのです。いかがでしょう。
「内閣は、行政権の行使について、國會に對し、連帶して責任を負ふ。」あなた方は皆連帯して責任を持っておられる。その連帯責任を持っているのが、てんでんばらばらなことを言って個人の見解を述べる自由はある、それは余りにも乱暴過ぎる言い方じゃないですか。あなた、自分の言ったことが正しいとお考えになりますか。
新憲法の第六十六条には「内閣は、行政権の行使について、國會に對し連帶して責任を負ふ。」こういうふうに規定してあります。内閣の一体性、共同責任を規定しているのであります。
それから六十六条の三項で「内閣は、行政權の行使について、國會に對し連帶して責任を負ふ。」という規定がございます。それからさらに内閣と行政権の行使との関係につきましては、七十二条に「内閣總理大臣は、」云々云々と、「行政各部を指揮監督する。」
「内閣は、行政権の行使について、國會に對し連帶して責任を負ふ。」と書かれてあります。つまり、司法権の独立に対する議院調査権の及ぶ範囲と、内閣の行政について国会の国政調査権が及ぶ範囲とは、明らかに違うということは学説においても明白になっておる。もしあなた方が「行政權は、内閣に屬する。」ということから導き出そうとするならば、同時に、「内閣は、行政權の行使について、國會に對し連帯して責任を負ふ。」
そこで実例を申し上げますれば、地方鉄道あるいは国鉄というような場合は、これは連帶運用しておる上でこれを共同専用することも当然考えられます。また製造しておる会社とか、それを直接販売するところの会社というようなものが密接に関係があるという場合は、この共同専用で行けるというように考えておる次第であります。
しかし基本的な権利になりますと、共有関係ですから、その点はやはり権利の得喪、変更の際には連帶の判をとるなり、あるいは代表者ということを内部的に代表権のとりきめをしておる内容をよくはつきりして、間違いのないような方法をとつて行きたいと考えております。
通産省はその直接の責任者だが、私はどうしても安本もその連帶責任を免れないと思う。なぜかなれば、ドル貨の割当ということは、最終的にはあなた方でおきめになる。してみると、こういうばかなことを国会として黙つておるわけに行かない。ことにドルの割当の内容を見てみると、せつかくの三百万ドルを、ドル地域に百万ドル保留しており、ポンド地域につきましても百万ドルばかり保留している。
本当に民主的な、お互いの連帶責任による考え方というもので国家を守り、民族を守つて行くべきものだと思うのでございますけれども、今お伺いいたしまして、非常に高い理想はよくわかつたのでございますけれども、現実にそれをまあ実現できるかどうか、今警察予備隊などでそういう訓練、訓育方法をなすつていらつしやいますが、実際それでやり得るものか、その点をお聞きいたしておきたいと思います。
去る七日、本会議場において林百郎君が行つた日華平和條約に対する反対討論は、もとより共産党を正式に代表するものであり、従つて共産党の体質を正式に表明するものでありまするがゆえに、これに対する責任は、單に林君個人のみならず、日本共産党全体が共同連帶の責任を負うべきものであることはいうまでもないのでありまするが、その内容は、法律を無視し、暴力によつて革命を実現せんとする意図を露骨に表明するものでありましてわれわれはもはや
また逃げれば親族その他が連帶の保証人になつてこれを納めるというような、合理的な施設もあるやに聞いておりますけれど も、現在のわが国の実情では、まだそこまでは行きかねるようでございますので、実はその点については相当困つておるのでございます。
そういたしますと、閣議の連帶責任であるし、その当面の主管大臣としての文部大臣の責任も重大でありますけれども、総理大臣は、その内閣の首班でありますから、これまたなお以上の責任者であられるのであります。
○田村文吉君 御承知の通りいずれにいたしましても国民の血税から出ておりまする金でございまするのでこういうものの……、私の銀行でございますると、在来は貸倒れ等が出まして大きな欠損を銀行に與えれば頭取以下取締役が連帶して責任をとるというふうに、過去においては非常に銀行業者というものは非常に責任感の強いものであつた。
われておるのでありますが、そうではなしに、個人が或る団体に属しておる場合には、その個人というものはその団体の無論メンバーでありまして、そうしますというと、個人が何といいますか、個人が犯罪を犯した場合にはその団体が責任を負うべき面から見ますというと、団体の責任者ですね、或いは理事であるとか、或いは何といいますか、代表者であるとか、会社では取締役であると言つてもよろしいのですが、それが何といいますか、連帶
一応組合の恰好をなしておりましても、いよいよ資金の借入等になりますると、ああいうアンシユアーな人たちと一緒では役員の連帶保証ができんとか、或いは担保の提供ができんというようなことに相成りまする組合も少くない。その結果が只今申しまするように、全体の組合の四分の一とか、或いは五分の一とかに対して貸出をしておるというような結果になつておると思われるのであります。
ただその場合問題になるのは、いわゆる経営委員会の決定についての責任が連帶の責任であるのか、あるいはこれは個人の責任であるのかという問題です。たとえば連帯の責任であれば、いわゆる特別委員がこれはどうしてもだめだといつて反対したにもかかわらず、多数決でもつて三対二なら三対二できめられてしまつた。
それは一般の原則としまして、それに関係する者の連帶責任ということに相なるわけであります。法人の住所、代表権の制限等はそのことになるかと思います。
これはひとり福岡の連絡場所だけでなく、あちこちにこういうものが出て来ることが予想されるのでありますが、こういう問題に関しましてはむしろ積極的に、いわゆる連帶運輸をおやらせになることが必要だと思つておるのでありますが、こういう点につきまして何か具体的の御構想がありますれば、承つておきたいと思うのであります。
今日におきましてアジアに、非常に大きな連帶性の問題がアジア人を刺激している。アジア諸民族間の連帶性の問題、今日のアジアの大問題はこれであるし、又従来のアジアを統治しておつた帝国主義の諸国家が、アジア問題が限りなくむずかしさを加えて来たというふうに考えているのも、やはりアジアにおいてこの連帯性の意識というものが猛然と頭を持ち上げて来たところから来ているものであると思うのであります。
それで官房長に出て頂くそうでありますが、官房長出て来られるということは、これは手続上の、正誤表を配付したけれども、それは議員に届いていなかつたという御趣旨で御出席になるのだと思うのでありますが、私はそういう手続上の問題を申しているのではないのでありますから、官房長の出席を待たないで質問を始めさして頂きますが、その点は、法務総裁、国務大臣として連帶して責任を持つという内閣の連帶性に基いて、その辺一つ御責任
国際連合教育科学文化機関、すなわちユネスコは、第二次世界大戰の後、平和を望む人類の気持が最高潮に達しましたとき、すなわち一九四六年十一月、人の心の中に平和のとりでを築き、人類の精神的連帶の上に、教育、科学及び文化を通じまして、国際平和と人類共通の福祉を促進しようとする理想のもとに創設された、国際連合の專門機関でありますことは、すでに御承知の通りでございます。